2022年10月15日
西舞鶴駅周辺の夕暮れ時のお散歩。

15:50 西舞鶴グランドホテルにチェックイ
ンしました。夕食の時間迄にまだ後2時間程
有りますので、早速ホテルを飛び出し散策で
す

両を見て大興奮。その後、駅前の「 西舞鶴
駅前緑地広場 」にやって来ました。ここに
は写真の様な一際目を惹く背の高い時計塔が
有ります。これは、以前田辺城下に有った太
鼓楼をイメージしてデザインされています。
この場所は以前はJR西舞鶴駅西口の旧駐車
場跡地を整備した場所。いぶし瓦とガラスブ
ロックを用いたステージを配し、常夜灯的な
緑地広場になっています。
1994年に竣工。 RC造・一部S造です。
延床面積は1,009㎡。高さは12m。
歴史的な建造物と勘違いする人もいる様です
が、新しく作られた物であっても、こういう
物を街のランドマークにして行こうと言う考
え方は、二へドンから見るととても羨ましい
です。二へドンの自宅が有る横浜市の保土ヶ
谷は、江戸時代の宿場町ではあるものの、
行政は当時の面影を再現する気なんて微塵も
有りません。この時計塔はNEG空間デザイ
ン・コンペティションで甍賞・景観賞を受賞

さて、2枚目の写真は散策の時に出くわした
小学校の門です。舞鶴市立明倫小学校です。
後ろに鉄筋コンクリートの校舎が写り込んで
いるので、学校だとお分かり頂けると思いま
す。この新しい校舎は昭和56年から2年間を
かけて全面改築されました。正門は「明倫
館」当時のものを移築したもので、昔ながら
の面影を今に伝えています。この重厚な門を
見て二へドンは圧倒されてしまいました。二
へドンが通った小学校は当時、校庭の片隅に
プレハブ校舎が建てられていました。そんな
文化的な重みが全く無い学校で育つより、こ
ういう歴史の重みを感じさせる門の有る校舎
で育ったら、人間形成上随分違うと思うので
す。明倫館と言うのは、江戸時代の藩校で
す。舞鶴は江戸時代には田辺藩3万5000
石の城下町として栄えました。天明年間
(1781~1788)には、すでに田辺藩の学
問所「明倫齋」が創設されていたことが記録
に残っています。その後「 明倫館 」と名
を変え、明治5年の学制発布に伴い、「明倫
館」の土地と建物を引き継ぎ、庶民の学校と
して「明倫小学校」の歴史が始まります。
ホテルの部屋でグダグダしていなくて良かっ
た。寒いけど( 日本海側の大晦日だもの。寒いよね。)散策のお陰で、舞鶴市の素敵な一
面を見る事が出来ました。
*****「 西舞鶴駅周辺の夕暮れ時のお散歩。 」 ・ 完 *****
2016年04月05日(火)の二へドンの記録。
ランチの後は高崎市役所へ行ってみました。
旧中道往還の小林商店と廃屋。
横浜最古の公園「 横浜公園 」の穴場スポット「 彼我庭園 」。
横浜・大倉山公園そぞろ歩き。( まだ寒い季節偏。)
ランチの後は高崎市役所へ行ってみました。
旧中道往還の小林商店と廃屋。
横浜最古の公園「 横浜公園 」の穴場スポット「 彼我庭園 」。
横浜・大倉山公園そぞろ歩き。( まだ寒い季節偏。)
Posted by 二へドン at 11:01│Comments(0)
│そぞろ歩き
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