2024年07月06日
吉野山の蔵王堂から階段を見下ろすと、三重塔と桜のフォトスポット!


(金)に吉野山で撮影したもので
す。金峯山寺の本堂である蔵王堂
をお参りした後、多くの人が西の
方角に有る下り階段の上から写真
を撮ります。妙法殿三重塔と桜の
写真が美しい絵になるからです。
奇しくも今年、2024年04月03日
(水)も、二へドンは吉野山を訪
れました。同じ階段の上から写真
を撮りました。それが 2枚目の写
真です。同じ場所から撮影した写
真ですが、随分と趣きの違う写真
に出来上がりました。どちらの年
も、お天気は今一つで、青い空を
背景にした写真では有りません。
が、どうせ天気が悪いなら、今年
の様にガスっている方が、ミステ
リアスな写真に出来上がって良い
感じです。まるで後醍醐天皇の当
時の悩みが、霞となって現代に漂
い出て来た、と言う妄想に浸れま
す。
この妙法殿( みょうほうでん )の歴史は、紀元元年( 1336年 )に遡ります。
京都の花山院に幽閉されていた後醍醐天皇は、脱出に成功。 吉野にやって来ると、
先ず吉水院( きっすいいん )に入られ、行在所( あんざいしょ )とされました。
しかし手狭である為、翌年の春に蔵王堂の西に在った実城寺( じつじょうじ )を
皇居とされたのです。 その時に寺号を金輪王寺( きんりんおおうじ )と改めました。
ところが、その後は受難続き。 江戸時代になると、徳川家康は吉野修験の弾圧を行いま
す。寺号を没収。もとの実城寺に戻して、幕府直轄の支配下に置きました。
明治時代には神仏分離令の影響で廃寺となり、
昭和33年( 1958 )に現在の公園として整備されました。
ですから三重塔は、昭和の時代に作られた新しい建築です。
が、周囲の桜の花々に埋もれる様に立つ三重塔は、とても美しいです。
因みに、この妙法殿の立つ場所に、南朝4帝が住まわれた場所と言う事で、
周囲の桜は「 御所桜 ( ごしょざくら )」と呼ばれています。
二へドンは今年の08月23日(金)から、クラブツーリズムの企画
「 <歴史への旅・ウォーキング> 『近畿文化会×クラブツーリズム 歴史入門旅 特別編
「壬申の乱」を追いかけて 関ヶ原・吉野・飛鳥・近江大津 3日間』 」と言うツアーに
参加します。 めちゃめちゃ興味深いでしょ? 最初、04月に申し込んだ時には既に
満席で、キャンセル待ちの状態でしたが、遂に二へドンの所に順番が回って来て、
参加出来る運びとなりました。 この企画で壬申の乱を深く学んだら、また吉野への
旅行も、感慨が深くなって、大変でしょうね。(笑) すっごく楽しみです。
*****「 吉野山の蔵王堂から階段を見下ろすと、三重塔と桜のフォトスポット! 」 ・ 完 *****