2024年01月28日

頑張れ! 紫宸殿( ししんでん )!!

京都御所・紫宸殿by二へドン2016年04月09日(土)
写真は、京都御所の紫宸殿です。京都御所と言うと、朱色に塗られたイメージが強いです
けれども、こんな風に、焦げ茶色に塗られた建物もシックで良いですね。 敷地が広く、
多数の建物が建っている京都御所の中でも、1番オフィシャルな建物が、この紫宸殿です。
京都御所の正殿なのです。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、平面は33メートル ×
23メートルほどの規模があります。 古くは寝殿造( しんでんづくり )の簡素な建物だ
ったそうですが、この建物は江戸時代末期に建てられたものです。
 古来、中国では、国の君主である天子は北を背にして、南を向いて人民を治める
「 天子南面す 」と言う考え方をしました。 今、日本に残されている紫宸殿も、
「 南庭 」と言う白砂の庭に面しています。 
 この紫宸殿は、天皇が即位を宣言する場所としても知られていますが、実は歴史的には
そんなに長い事では無いのです。 桓武天皇の即位以降、凡そ1,000年に亘って都( みや
こ )が置かれた京都ですが、当初は「 大極殿( だいごくでん )」と言う建物を中心
に行われていました。大極殿は度々の火災の憂き目に遇い、その都度再建されたのですが、
平安時代の終わり頃に焼失した後は、再建されなくなってしまいました。
 その後、大極殿の近くで即位の儀式が行われる様になり、室町時代の後期からは、
現在の紫宸殿で行われています。 
 明治時代に入ると、首都は東京に移りましたが( 正式な遷都はしていない様です
が )、大日本帝国憲法と共に定められた旧皇室典範で、即位を宣言する儀式は京都で行う
事が定められました。 ですから、明治天皇、大正天皇、昭和天皇は、この紫宸殿で、
即位を内外に宣言される「 即位礼正殿の儀( そくいれいせいでんのぎ )」を、
この紫宸殿で行いました。
 戦後、旧皇室典範も廃止され、皇室制度は現在のものと変化しました。
そこで、平成天皇の時より、儀式が初めて東京の皇居宮殿で行われました。
これには、京都の人達や、保守的な人々に取っては、ショックが大きかったのではないjで
しょうか? 宮内庁の中でも揉めたのではないですか?
これではまるで、京都が天皇から見捨てられたかの様な印象を持ってしまいますよね?
「 即位礼正殿の儀 」が初めて東京で行われる時期に、二へドンは日本に居たのに、
何故、この話題に興味を持たなかったのか、今から考えると不思議で仕方が有りません。
実に勿体無い時間の使い方をしたな、と反省しきりです。 
 日本を訪れる外国人の多くの人が言う言葉、それが「 日本はこのままでいて。」。
つまり、「 歴史的な物をこのままずっと残して行って。 」と言う事です。
通り過ぎた外国人による無責任な発言にしか過ぎないのかもしれませんが、
日本人は、余りにも日本の事を知らなさ過ぎる、とは常々思っていましたので、これからも
アンテナを張り巡らせて、ブログ記事にして行きたいと思った次第です。
恐らく将来、この紫宸殿で、「 即位礼正殿の儀 」は行われないと思いますので、
儀式を失った紫宸殿に向けてのエールで、この記事のタイトルを
「 頑張れ! 紫宸殿!! 」とさせて頂きました。
たまには儀式で使った方が良いと思いますけどね。 住む人の居なくなった建物って、
凄く荒れるから。 二へドン個人の考えでは、儀式は紫宸殿でやって欲しいと思います。

*****「 頑張れ! 紫宸殿( ししんでん )!!」 ・ 完 *****



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Posted by 二へドン at 15:26│Comments(0)旅行歴史散歩
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