2021年10月23日
カラスに導かれ、横浜の「 師岡熊野神社 」を参拝して来ました。

午前中、大倉山公園の梅林を見に行き、昼食
も済ませた二へドンが次に行ったのは大倉山
公園と同じ横浜市港北区の「 師岡( もろ
おか )熊野神社 」でした。二へドンの趣
味の1つとして、神社仏閣巡りが有ります。
不思議な事に、次の神社に何処に行くかは、
何かの力に依って自然に指し示されるので
す。誰かの口から、その神社の名前が出た
り、たまたま見た小説や雑誌に、その神社の
名前が出て来たり。今回もPCで大倉山梅林
へのアクセスを調べる為に地図を見ていて、
ふと「 師岡熊野神社 」の名前が目に留ま
ったのです。その様な場合は、その神社の神
様から招待状を頂いたと思い、素直に従いま
す。 大倉山の梅林から東急東横線の線路の
反対側に歩いて行くと30分程で到着しまし
た。 1枚目の写真が石の鳥居です。この写
真では良く分かりませんが、鳥居の後ろに、
木の柱一対の間を注連縄で結んだものが立っ
ています。伊勢谷武氏の「 アマテラスの暗
号 」と言う書籍では「 古鳥居 」と言う
名前で現わされています。ソロモン神殿にも
2本の柱が立っていたと言う事で、関連性が
実に興味深いのです。

「 横浜の祈願所 」「 横浜北部の総鎮守
」等、様々な呼び方をされています。御祭神
は伊邪那美尊( いざなみのみこと )、
事解之男命( ことさかのおのみこと )、
速玉之男命( はやたまのおのみこと )の
三柱です。 速玉之男命は、伊邪那岐神が、
死んだ伊邪那美尊を追って黄泉の国に行った
時に吐いた唾から生まれた神。その穢れを祓
うと泉津事解之男( よもつことさかのお
)が生まれた事になっています。 ただし、
この事は「 日本書紀 」には書かれている
のですが、「 古事記 」にはこれに当たる
神は出て来ないのでよく分かりません。
神社の成り立ちやご利益について来歴等を
記した由緒書きは、師岡熊野神社の場合、貞
治03年( 1364年 )に書かれたと伝わっ
ています。その由緒書きに拠ると、この神社
は聖武天皇神亀元甲子年( 西暦 724
年 )に全寿仙人によって開かれました。
熊野山の中腹に鎮座し、和歌山県熊野三社(
本宮・那智・速玉 )の祭神と御一体です。
二へドンは添乗の仕事で、本家の熊野三山に
は何十回もお参りして、ご縁を結ばせて頂い
ているので、呼ばれるのも自然な流れでしょ

でした。曇りがちの日でしたので、寒々とし
た雰囲気の中でのお参りとなりました。
写真2枚目の狛犬は、鳥居の後ろに置かれて
いたものです。 鳥居を潜り直ぐ右手に稲荷
社が有りました。10段の石段を登ると3枚目
の写真の様なユニークな顔の狐さんが一対置
かれています。こういう面白い顔の狐さん、
二へドンは大好きなんです。 しかも、背後
の石が、ハート型に見えなくもない。(笑)
この稲荷社についての説明版が有りました。
「 『 江戸名所図会 』や『 新編武蔵國
風土記稿 』にも、この位置に出ているので
少なくとも江戸中期には存在していた社。
京都の伏見に鎮座する伏見稲荷大社を本社に
仰ぐ。平成28年01月神殿基壇設置及び外柵
工事の整備を行なった。 」
左手に石造りの小さな地神塔が有ります。
周辺にはどんぐりの実がびっしりと落ちてい
ます。階段脇にはご神灯が右に7基、左に7
基並んでいます。 では階段を上りましょ
う。 46段の階段を一気に登ると息が上が
ります。左手に手水舎が有りました。「 手
水は当分の間 10時~15時を目安にご利用い
ただけます 」と書いてありましたが、
全然、水は出ていませんでしたよ。
▼ 写真4枚目 : 師岡熊野神社の社殿。本殿は更に覆い屋で覆われています。


木 」と言う木が有ります。
☆ スダジイ( 参道の石段を登り詰めた左
手 ) 子孫繫栄、厄除招福
☆ イヌシデ ( 社殿に向かって左手 )
五穀豊穣と開運
☆ アカガシ ( 社殿に向かって左手 )
恋愛成就、身体健全
☆ シラカシ ( 社殿の裏側 )
病気平癒と火伏
☆ イチョウ ( 社殿の裏側 )
繁栄長寿と無病息災
5枚目の写真は、拝殿の左手で存在感を発揮
していた「 みくまの五木 」の1つのイヌ
シデです。「 花がしめ縄に酷似。 木霊感
得。」と木札に書かれていました。しめ縄に
似た花が咲いている様子を見てみたくなりま
した。イヌシデの開花期は若葉の季節の04
月~05月です。陽気の良い時期ですので、
参拝がてらのお花見も良いかもしれません。
イヌシデの木の近くには「 さざれ石 」
と、「 国歌 君が代 」を刻んだ石碑が有
ります。 裏手に回ると、アカガシの大木が
数本植えられていました。ご朱印は 300円
よりお志と言う事でした。

池 」です。昔、師岡熊野神社の社殿地がも
っと広かった頃、「 いの池 」「 のの池
」「 ちの池 」と言う3つの池が有りまし
た。3つ合わせて「 いのちの池 」と言う
事です。 現在の師岡熊野神社の境内には「
のの池 」のみが存在しています。「 のの
池 」は2014年08月に改修工事が完了した
ので、結構新しい綺麗な池となっています。
平仮名の「 の 」の字の様な円の形をした
小さな池です。池の底には握り拳よりも大き
い白い丸い石が敷き詰められています。
説明板には、こう書かれていました。
「 当神社創建の地である、この池の水は禅
定水と呼ばれ、どんな干天でも涸れることが
なく、大雨でも水があふれることもないとい
われています。南北朝期の落雷による火災
で、社殿が焼失した時、神宝・神体等をこの
池に投げ入れ焼失を免れたと伝わっていま
す。 また毎年01月14日に行われる年占行
事の「 筒粥神事 」は、この池の水を使っ
て行われます。」
「 いの池 」については、次の記事で詳細
を書こうと思っております。「 ちの池 」
は現在は埋め立てられて公園となってます。

岡熊野神社の御社紋「 三つ足烏紋 」で
す。所謂、八咫烏と言うやつですね。
師岡熊野神社の「 参拝のしおり 」には
こう書かれています。
「 この烏は、熊野大神のお使いであり、初
代神武天皇が熊野の山中で道に迷われた時、
天皇をお導きするために熊野大神からつかわ
されたのが、この烏でした。烏は、夜明けを
呼ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれます。
人生の闇に迷い悩む人々を明るい希望の世界
に導く霊鳥として長く信仰されています。」
8枚目の写真をご覧下さい

二へドンが「 のの池 」を眺めている間
に、いつの間にか近く( 本殿の真裏 )
に、本物のカラスが岩の上に止まったので
す。日本列島の何処にでもカラスはいますの
で、近くで見る事は珍しくありません。けれ
ども、二へドンのカメラに収まる位の近い距
離にいるのに、全く逃げようともしないので
す。生ごみや餌が有る訳でも無いのに。
神社の境内で動物を見た場合、それは神の化
身、或いはお使いの可能性が高いと言う話を
聞いた事があります。だとすると、このリア
ルカラスは、二へドンに御神託を持って来た

れて初めて気が付いたのですが、このカラ
ス、背景の竹垣を縛っている黒い紐が、3本
目の足に見えるのですよ

リアル八咫烏で決まりですね。(笑)
写真は撮って来なかったのですが、「 のの
池 」の左手には馬頭観音像( 師岡表谷戸
の下郷にあったもの )、青面金剛像( 庚
申の日に「三尸(さんし)」の虫を押さえる
力を持った金剛童子。従者は三猿。)、地神
塔( じしんとう )と並んでいます。
右手には天満社が有ります。その隣は
社御神( しゃごしん ) 「 由緒不明。
長野県の諏訪信仰を源流とする農耕神であ
り、食を下さる杓子( しゃくし )奉納を
象徴とするミシャグジ信仰は東日本の広域に
渡って分布しており、当初は主に石や樹木を
依り代とする神であったとされる。近世から
は、その語呂から俗信として癪( しゃく
)の神・咳の神などへも転化している。」
更に、山王社、白山社、稲荷大神、御嶽(
みたけ )社、道祖神、浅間( せんげ
ん )大神と、末社オンパレードです。今回
ご縁を頂きお参りが出来て良かったです。
*****「 カラスに導かれ、横浜の「 師岡熊野神社 」を参拝して来ました。 」 ・ 完 *****
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