2024年02月08日

小堀遠州の怨念が宿る!? 京都御所の池。

京都御所の池by二へドン写真は、2019年04月09日(土)に撮影した京都御所の池です。
御所の庭園全体は池泉回遊式庭園になっています。 池の周りを散策しながら風景を楽しむ
事が出来ます。当初は、小堀遠州の作庭でしたが、後に語水尾( ごみずのお )上皇の
意向により大きく改造されて、現在に至っています。
現代において、日本庭園が「 小堀遠州 」作だと聞くと、人々は「 ほ~、凄いですね
ぇ。」と言う反応を見せます。小堀遠州ブランドは、それ位、価値が高いと認められている
訳です。 その小堀遠州の庭を、後水尾上皇は、何故壊してしまったのか?
そのまま小堀遠州作にしておいたなら、令和の私達も「 ほほぉ。 小堀遠州ですか。
流石に御所のお庭だけありますなぁ。」 等と言って喜んで写真を撮ったのに。
 小堀遠州は天正05年( 1577年 )の生まれです。 茶道を千利休の高弟であった古田
織部に学び、晩年には徳川三代将軍家光の茶道師範を務めています。
 一方、後水尾上皇の在位は 1611年05月09日~1629年12月22日です。 父親は後陽成天
皇で、第一皇子の良仁親王を廃して、弟宮を立てる事を望んでいました。 ところが徳川家
康が関ヶ原の戦いに勝った後、皇位継承に介入して来ました。そして、第三皇子の正仁( 
ことひと )親王( 後の語水尾上皇 )の擁立を求めました。 それでこの父子は、死ぬ
まで不仲の状態が続いたそうです。 天海僧正が仲裁に入るも、うまく行かなかった程だっ
たとか。 
 徳川家康のお陰で天皇になれた後水尾上皇です。 2代将軍・秀忠は、天皇との外戚関係を
作ろうととして、13歳だった娘の和子( まさこ )を後水尾天皇に入内させました。
すっかり徳川家に取り囲まれてしまった後水尾上皇は、度重なる幕府の介入に嫌気を覚え、
勝手に娘に譲位してしまいます。 その天皇が、明正( めいしょう )天皇と言う女帝です。
これは、奈良時代の称徳天皇以来の女性天皇となりました。 そして後水尾は長く院政を
敷く事になりました。 かなり幕府の介入に物申す天皇だったみたいです。
 何故、後水尾上皇が、小堀遠州の庭を変えたのか・・・。 この徳川家との確執から考え
ると、「 徳川家と仲良くやっている様に見える小堀遠州の庭なんか、見るのも嫌だ! 」
とヒステリーを起こした? のかな? 御所の庭位、天皇が好きにしても良いとは思います
が、作者からしたら、自分の作品を壊されるなんて許し難い事ですよね。 
だから、きっとこの庭には、自分の作品を壊された小堀遠州の怨念が宿っているに違いな
い。 そんな妄想を抱きながら、池の周囲を散策した二へドンなのでありました。
 池は2つ有りまして、今は両方繋がっているのですが、確かこの写真は「 北池 」で撮っ
たんだったかなぁ? よく覚えていないのですが・・・・。
また今度行ったら確かめておきますね。

*****「 小堀遠州の怨念が宿る!? 京都御所の池。 」 ・ 完 *****





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Posted by 二へドン at 23:53│Comments(0)日記
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